
先日、映画 宮大工 西岡常一の遺言「鬼に訊け」をユーロスペースで観てきました。
世の中に宮大工という存在を知らしめた人。そして私にも宮大工の仕事の奥深さを知らせてくれた人です。
今回、棟梁の本を読んで中途半端な理解しか、していなかった事を映像により理解する事が出来、とても良かったです。
槍かんなの使い方、初めて見る事が出来ました。作業そのものがとても美しいと感じました。上のポスターに飾られた、「かんなくず」は槍かんなで削られたものだったんですね! くるくるとねじれて奇麗なものです。
通常、宮大工さんがかんなで削った「かんなくず」は見た事はあるのです。現在は省力化で始めに電機かんなを使います。次に通常のかんなを使い、最後に仕上げ様のかんなで削りますが、「かんなくず」が向うが透けて見えるほど薄く均一なのです。削られた木材は斜めにして眺めると鏡のように周りの風景を映し込むほど美しい仕上げです。

色々な話が有り納得することばかりでしたが、特に
「棟梁にとって一つの大きな工事は一生を掛けて果たすべき仕事であり、それにより命を縮めるものである。普通は一生で一棟だが、私は4棟だから、もう4回死んだ事になる。」ちょっと自慢?
そして棟梁として力の衰えを感じ後継に棟梁を譲ることになったのですが、寺はそれを認めず、
「棟梁として死んでほしい。」と寺からの要望に西岡棟梁は病床の上で涙した。
素晴しい人生を送ったのですね。
こんな生き方に私も感じ入っています。もっと本気で人生を生きなくては・・・・!
それにしても、この映画を観に来る人はシニアばかり、もっと若い人たちに観て欲しいな!
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1月中頃、京都で少しだけ空き時間が出来、三条辺りを散歩して来ました。
知恩院近くで「行者橋」を見つけました。比叡山のあじゅり修行を終えて京の町に入る最初の橋だそうですが、普通に町の人が未だこのままで利用している。普通にすごいですね。


祇園の黒板塀にロベール・ドアノーのポスター似合いますね!
ブレッソン、ドアノー好きですね!
2人の写真集は私の教科書です。

祇園の歌舞練場、欄間の彫刻さすがに凄いですね!
表裏一体なのか、どれだけの厚みか、とても気になります。飽きずに長い時間眺めていました。

(たわごと一言)
先日、NHK日曜美術館で木村伊兵衛氏のカラーでパリを撮影した写真の話が有りました。日本で始めて開発された試作のカラーフイルムを撮影するため、パリへ取材旅行に出かけ、パリに居るアンリー・カルチェ・ブレッソンを訪ねた。始めて会ったにもかかわらず、スナップ撮影の巨匠達は意気投合して撮影の協力を取付けた。実際にはパリの撮影に詳しいロベール・ドアノーに街の案内を頼んだ。と言うあらましだと思いましたが、この時期に3人がパリで繋がっていたことを知り、驚きと何か3人の共通性を感じ納得しました。
スナップショットに対するブレッソンと木村伊兵衛の立ち向かい方は対象を撮影するとき既に対象を捉えた瞬間に構図と撮影タイミングは頭の中に出来上がっていて撮影をする。だから1カット1枚多くても3枚程度しか撮影しない。撮影された事すら対象が気が付かないうちに、その場を立ち去る。だから、対象への演出はまず有り得ない。
それに比べて、ドアノーは上のポスターが有名だが、これは男女のモデルを使い街中でキスをさせ演出し、街中の臨場感を利用し撮影をしている。
酒場の中の撮影などフラッシュバルブ?でライティングして撮影している。これは対象者が撮影を知った上での撮影だ。当然、カメラを意識し撮影されている。1枚撮影するたびにフラッシュバルブも交換しているだろう。撮影者と対象者の関係が確りしているから撮影できる。その上で自然なスナップショットが要求される。対象者は素人だから、これは難しい。
私の話をすると、職人さんを撮影している。職人さんも撮影の素人です。それに、ブレッソンや木村伊兵衛のように1枚で撮影は決められない3流写真家です。だから、何十枚もシャッターを切る。まずは何時も通りのカットを切る。悩む。別のアングルから切る。関係性で悩む。またアングルや構図を変えて切る。全体が決まったアングルを見つけて、タイミングを探り切り続ける。それでも、撮影が終わり改めて写真をプリントする段で、悩み。結局ボツにするなんて、当たり前。
だから、職人さんと私は撮影される側と撮影者の関係から、それ以上の近しい関係になることを望んでいる。その内に職人さんの近くで撮影していても気にならない関係になるまで、通うことで、自然を得ようとしている。
その上で、職人さんの中にある匠の技、真剣さ、情熱と言うイメージを写真にしたいと取り組んでいる。
ドアノーもう~んと親しくなる努力をしていたのかな?
こんなことで、ブレッソンや木村伊兵衛、ドアノーに近づけるか???
知恩院近くで「行者橋」を見つけました。比叡山のあじゅり修行を終えて京の町に入る最初の橋だそうですが、普通に町の人が未だこのままで利用している。普通にすごいですね。


祇園の黒板塀にロベール・ドアノーのポスター似合いますね!
ブレッソン、ドアノー好きですね!
2人の写真集は私の教科書です。

祇園の歌舞練場、欄間の彫刻さすがに凄いですね!
表裏一体なのか、どれだけの厚みか、とても気になります。飽きずに長い時間眺めていました。

(たわごと一言)
先日、NHK日曜美術館で木村伊兵衛氏のカラーでパリを撮影した写真の話が有りました。日本で始めて開発された試作のカラーフイルムを撮影するため、パリへ取材旅行に出かけ、パリに居るアンリー・カルチェ・ブレッソンを訪ねた。始めて会ったにもかかわらず、スナップ撮影の巨匠達は意気投合して撮影の協力を取付けた。実際にはパリの撮影に詳しいロベール・ドアノーに街の案内を頼んだ。と言うあらましだと思いましたが、この時期に3人がパリで繋がっていたことを知り、驚きと何か3人の共通性を感じ納得しました。
スナップショットに対するブレッソンと木村伊兵衛の立ち向かい方は対象を撮影するとき既に対象を捉えた瞬間に構図と撮影タイミングは頭の中に出来上がっていて撮影をする。だから1カット1枚多くても3枚程度しか撮影しない。撮影された事すら対象が気が付かないうちに、その場を立ち去る。だから、対象への演出はまず有り得ない。
それに比べて、ドアノーは上のポスターが有名だが、これは男女のモデルを使い街中でキスをさせ演出し、街中の臨場感を利用し撮影をしている。
酒場の中の撮影などフラッシュバルブ?でライティングして撮影している。これは対象者が撮影を知った上での撮影だ。当然、カメラを意識し撮影されている。1枚撮影するたびにフラッシュバルブも交換しているだろう。撮影者と対象者の関係が確りしているから撮影できる。その上で自然なスナップショットが要求される。対象者は素人だから、これは難しい。
私の話をすると、職人さんを撮影している。職人さんも撮影の素人です。それに、ブレッソンや木村伊兵衛のように1枚で撮影は決められない3流写真家です。だから、何十枚もシャッターを切る。まずは何時も通りのカットを切る。悩む。別のアングルから切る。関係性で悩む。またアングルや構図を変えて切る。全体が決まったアングルを見つけて、タイミングを探り切り続ける。それでも、撮影が終わり改めて写真をプリントする段で、悩み。結局ボツにするなんて、当たり前。
だから、職人さんと私は撮影される側と撮影者の関係から、それ以上の近しい関係になることを望んでいる。その内に職人さんの近くで撮影していても気にならない関係になるまで、通うことで、自然を得ようとしている。
その上で、職人さんの中にある匠の技、真剣さ、情熱と言うイメージを写真にしたいと取り組んでいる。
ドアノーもう~んと親しくなる努力をしていたのかな?
こんなことで、ブレッソンや木村伊兵衛、ドアノーに近づけるか???
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